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中島らもが残したあまたの言葉

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ロバに耳打ち

参考書籍情報
・双葉文庫
・2005年7月20日 1刷

書評を読む

晩年のエッセイ集。
「衣食住」をテーマに連載されたエッセイをまとめたもの。
P.55 「あの日の風景」
懐かしい家。しかしモモの木も、イチジクの木も、クヌギの林も今はもうない。
 
P.79 「河内長野に笑死する」
自分がアクションを起こさねば誰がやってくれるというのか。何も起こりはしない。世界は昨日のままだ。だが昨日の新聞を誰が読もうとするだろう。
 
P.87 「竹林にクマ死す」
山中の道路にムササビが一匹、踏みつぶされて死んでいる。これが我々のしたことだ。
 
P.119 「ロックンローラーと食べ物」
ロック・アーチストには、食べていいものといけないものとがある。それは食べものには、ロック的なものと非ロック的なものがあるからだ。

P.203 「習いごと その二」
柔道の二級というのはとてつもなく弱い。どれくらい弱いかというと、ソロバンの二級と闘って負けるくらいに弱い。敵はソロバンという凶器を持っているからだ。
 
 

固いおとうふ

参考書籍情報
・双葉文庫
・2000年5月20日 1刷

書評を読む

芝居のこと、講演のこと、若かりし頃のことなど、徒然に綴られたエッセイ。
いちおう「酒中時代」「酒断時代」と酒くくりでテーマ分けされている。
P.14-15 「なぜ私が人前に出るのをやめたか」
そんなわけでもう人前には出ないことにした。ついでに雑誌に出る自分の写真も外人モデルか何かとさしかえようか、と思っている。
 
P.47 「暇との戦い」
「教養」とはつまるところ「自分ひとりでも時間がつぶせる」ということだ。
 
P.122-123 「私の大勝負」
蚊の目玉、クモの目玉などを考えると、彼らの頭の中ではこの世界が倒立しているはずだ。人間の脳はそれを逆転させる機能を持っているが、虫にその機能はない。ということは、彼らにとって上昇とはひたすら天に向かっての下降ではないのか
 
P.189 「デペイズマンを読んだ日々」
今思えば、若い頃に勉強せずに打ち込んでいたもので、今役に立っていないものはひとつとしてない。マンガ、音楽、書物etc。
必ず何かの役に立つと思って誤りではない。
 
P.267 「わが葬儀」
僕という存在の喪失が、しばらくの間人々の間に影を落とし、やがてその影が薄れていって、僕はほんとうの「無」になる。そういうのがいい。
 
 

ぷるぷる・ぴぃぷる

参考書籍情報
・集英社文庫
・1995年3月25日 1刷

書評を見る

新作落語、以前に書き溜めてあったコント、短編小説を収録。
P.111
……。あたら未来のあるパンツを一枚。暗黒の闇の中へほうむってしまった……
 
P.270 「あとがき」
「シャボン玉ホリデー」や「ゲバゲバ90分」で育った僕には、「コントは消えもの」という感覚がある。しかし片一方では、なぜコントだけがそれこそシャボン玉のような消えもので、古典落語は同じギャグを何百回くり返しても許されるのか、といった怒りもある。
 
P.270 「あとがき」
古典落語のギャグはたしかによくできている。が、同じギャグを聞かされる以上、客の立場は咄家の「芸」を鑑賞することにしか残されていない。落語ファンが全員「評論家」であるのは当然の成り行きである。
 
 
 
 

ビジネス・ナンセンス事典

参考書籍情報
・集英社文庫
・1998年3月25日 1刷

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「ビジネス」をキーワードにした笑える基礎知識的エッセイ。
エッセイにまぎれてコント風ショートショートも多数収録されている。
PP.40-41
この世の中に「人格者」などというものが、そうおいそれと転がっているわけがない。その割には、にこにこしてやさしい人というのはたくさんいる。つまりこれは生物学でいうところの「擬態」、学名「ジンカクシャモドキ」なのである。
 
PP.279-280
その頃の若者たちは、長髪ということに形而上的な思い入れを託していた。それはロックだの自由だの、要するに自分はスクエアな人種じゃないんだよ、ということの象徴だった
 

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